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浄土真宗のお寺

 

​ 浄土真宗のお寺の特色は、もともと普通の人たちが仏様の教えを聞いていくために集う道場(生き方を尋ねていこうとする場)として生まれてきたことです。それは仏教が誕生したインドのお釈迦さまの頃をふり返ってみれば、むしろ元の大切なあり方にかえっていった姿だといえるでしょう。
 仏教はその発展の過程で、いつの間にか普通の人には手に届かないような複雑で難解なものになってゆきました。親鸞聖人は、いろいろな人たちと共に生活を営みながら語り合い、苦しみ・悲しみ・喜びを分かち合う中で仏教の教えを深め豊かにして、私たちの身近なところまで取り戻してくださったのだと思います。
 ですから浄土真宗のお寺は、特別な修行をしたり、勉強するための場所ではありませんでした。昔からお坊さんも普通の人たちもいっしょになって念仏をとなえたり、お経に親しんだり、仏教の話を聞いてきたのです。
 仏様の教えを聞いてゆくことを通じて、自分自身の在り方・生き方を深く新鮮に見つめなおす眼が自然と育てられることによって、自分の固執していた狭く浅い見方に気づかされ、どんな境遇の中でもお互いに大切に生き尽くしてゆける道筋をはっきりさせていこうとする場所であったのです。
 お釈迦さまによってインドに仏教が興ってから二千五百年。親鸞聖人がそれを更に研ぎ澄ませて浄土真宗を明らかにされてから八百年あまり。その間、私たち人間社会は著しく変化してきました。しかしながら、生身の人間そのものの基本的な性質は決して変わっているわけではありません。
 仏教とは、そういう私たちそのものを問題にして説かれてきた英知の宝庫と言えるでしょう。したがって一見表現は古めかしくても、私たちに届けようとしているメッセージは、古いどころか現代に私たちが見失っている心や本末顛倒したり、かたよった在り方を掘り起こしながら、大切な方向を指し示そうとしているのです。
 私たちが自ら歩んできた生き方をかえりみて、ふっと生きる意味をたずねてみようと思い立った時、既に仏教の入口はすぐそばにまで来ています。どうかその門をたたいてみてください。

 

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